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あの街

私は、生まれてから中学生まで新宿区で育ち、それからは世田谷区で育った。結婚するまで、ほとんどの人生をそこで過ごした。

キャバクラでありがちな出身地の話になると、お客さんは決まって「都会っ子だね」と言うけれど、実際には、出不精でお家が大好きだった私は、「一日家で過ごしていい」と言われたら、たまらなくわくわくして、何時間でも黙々と家で過ごせる、一人遊びの上手な子供だった。

大人になっても、基本的には性格は変わらなくて、出かけるにしても、ほとんどが都心だけで、日本好きな外人さんの方が私よりよっぽど日本各地のことを知っているくらいだった。

旦那さまに出会ったのが確か4月頃で、そのすぐ後の6月、旦那さまの誕生日があった。叔父さんや友達とお祝いをするというので、付き合い始めて間もない私は、確か香水か何かを買って、それに参加することになった。


その待ち合わせ場所が、川崎だった。

当時の私は、川崎なんて名前しか知らなかった。むしろ、横浜だって、人生で数回しか行ったことがないくらいだった。川崎と聞いて、得体の知れない田舎町で、ガラが悪くて物騒で、猥雑な街だという漠然とした印象を持っていた(ごめんなさい)。

初めて降り立った川崎の駅は、その印象通りの街に見えた。一人で歩くのが怖いくらいで、怯えて旦那さまの腕をずっとつかんで、おそるおそる歩いたのを覚えている。

おっさんのお客さんに聞くと、昔は確かにそういう街で、今では随分よくなった、とみんな口をそろえて言う。でも、私には十分怪しい街に見えた。まぁ確かに、いくらラゾーナなんて商業施設が出来たところで、例の有名な風俗街とかもあるし(興味半分で通りがかったことがあるけど、初めて本物の飾り窓ってやつを生で見て衝撃だった)。

私と旦那さまが結婚して、初めて住んだのは、都内だけれど川崎からほど近い街だった。そして2回目に住んだアパートも、川崎から近いところだった(私の仕事の送り車が出ないため、都内にしか住めないという理由で、多摩川を越えた川崎には住めなかった)。

初めは、実家付近の雰囲気とのあまりの違いに驚き、イヤでイヤで仕方なかった。実際、治安も悪かった。時々実家に帰ると、「あぁ、この街はなんて安全でステキなんだろう」とうらめしくなった。

でも。

結婚して4年ちょっと。こうして旦那さまがペルーに帰って、私は実家に戻って、不思議と、川崎と、その付近が懐かしくてたまらなくなった。知らない内に、愛着を感じていた。

何度も歩いたあの街。気がつけば、当たり前のようにあの街を歩けるようになっていた。どこに品揃えのいいドラッグストアがあって、パン屋さんはどこで、コンビニはあそこ、銀行はここ、携帯ショップ、ATM、自分が使っているコスメを取り扱っているお店、雑貨ならあそこ、レストラン(こればっかりは、旦那さまの嗜好で9割はペルー料理だったけど)、一番ポップコーンのおいしい映画館…色々知っている自分がいた。旦那さまが仕事で私が休みの時、旦那さまの仕事が終わる数時間前にアパートを出て、すっぴんで一人で川崎をうろうろすることもよくあった。仕事を終えた旦那さまと、川崎で映画を観たりご飯を食べたり、何度も、何度も、した。

実家に戻って、川崎がまた遠い街になってしまったことを感じて、なんだか悲しくて、その頃のことを思い出したら、泣きたくなった。色んなことがあった街。仕事を終えた旦那さまが、汗で湿った汚れた制服の入った、おっきなリュックをしょって、改札を出てくる笑顔。ぎゅっ、とハグをすると、たくさん働いた人の匂いがした。あの匂い。どこを歩いても、しょっちゅう旦那さまの友達に偶然会った。一人で歩いている時に、私の顔を忘れた旦那さまの友達にナンパされて、「私は○○の奥さんです。私、あなた知ってます」と説明をしたこともあった。

旦那さまが帰ってきたら、またあの街を二人で歩きたい。

私たちがどこに住むにしろ、旦那さまの友達はみんな川崎より先に住んでいるし、どっちにしてもまたよく行くんだろうけど、この頃妙にあの街が、なつかしいのです。





テーマ: 日々のつれづれ | ジャンル: 日記

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